2022年10月10日 (月)

安倍元首相銃撃事件と国葬儀

7月に安倍元首相が亡くなった時から、考えたことを記録しておきたいという気持ちになったのですが、ずっとモヤモヤしつつも、落ち着いてまとめる時間がないまま、国葬儀も終わってしまいました。
今さらという感はありますが、書き出してすっきりしたいという気持ちもあり、徒然に書いていきます。

(記録しておきたいという目的で、昔のブログを使いますが、これを機にブログ再開しようとかは考えていません。)


日本でこんな銃撃事件が起きるなんて信じられない、というのが最初の感想。長崎市長の事件の記憶は片隅にあったものの、暴力団によるものというイメージがあり、組織に所属しない一人の人間によって、ましてや警護が付いているはずの元首相が殺されるということが信じられなかった。映像では、そのあっけ無さに衝撃を受けた。

元首相につく警視庁のSPが1名しかおらず、他は訪問先の県警が警備しているということを知った。もっと手厚く警護されていると思っていたので驚いた。医療や教育、福祉の予算は少ないと思っていたけれど、こんなところも予算が少ないのかと。いろんなところが、思っているより脆弱なんじゃないかという気がしてきた。

一人の人間の命が、暴力によって突然断たれたこと自体は悲しいし、可哀想なことだと思う。一方で、厳しい言い方になるが、そういった暴力を防ぐのも行政の役割であり、つい最近まで長期にわたり行政のトップにいた政治家としては、自身が行ってきた政策の結果であるとも言えるのではないか。

今回銃撃された場所は、過去の他の政治家が演説するとき、警備上の理由で他の場所に変えさせられたり、車の上で演説したりしていた場所だったという。安倍元首相(やその周辺人物)への「忖度」で、その場所はダメと言えなかったのだとしたら、皮肉な話だ。

犯人が単独で、殺傷能力のある武器を製造し、たった1回のチャンスで正確に銃撃できてしまったことも驚きだった。元自衛官だということなので、もし、自衛官としての訓練が、憲法9条改正を悲願としていた安倍元首相の殺害の役に立ったのであれば、これもまた皮肉な話だ。

暴力を正当化しないためには、暴力によって社会が変わるべきではないと思う。しかし、暴力によって明るみに出た事実が問題であれば、やはりその問題には向き合うべきだとも思う。暴力の動機を与えないためには、暴力に訴えかける人が出てくる前に、人々が問題に気付いて対処するしかないのだと思う。これは9.11の時に思ったことと同じ。

自民党と旧統一教会との関係については、調べればこれだけ簡単に事実が出てくるのに、これまで大きくメディアで取り上げられていた記憶はない。はっきりした証拠のない噂というイメージだった。自分の関心が低かったといえばそうかもしれないが、メディア側の「忖度」があったのかもしれないと思う。

あるいは、教団関連団体のとの関係があった議員自身がそうであったように、メディアも昔の感覚のまま麻痺していたのかもしれない。昔からの関係なので改めて取り上げるきっかけが無かったのかもしれない。反社会的勢力排除の基準が厳しくなったのを受けて、世間一般の感覚として「団体と関係がある」というラインは昔より厳しくなっていると思うが、昔の感覚のままでいたのかもしれない。

信教の自由は守られるべきだが、それが他の基本的人権より優先されるわけではないと思う。脅迫や強要、「健康で文化的な最低限度の生活」を奪うような献金については禁止すべきだと思う。取り締まったり、被害を立証するのは難しいかもしれないけど、少なくとも「それは違法行為だ」と周知するべきだし、立法府の国会議員の皆さんには、両立する法律の議論を進めていただきたい。

国葬については、当初、戦後の国葬をめぐる経緯を知らなかったので、特に違和感は持たなかった。が、その後、「内閣・自民党合同葬」とするのが慣例になっているということを知ってからは、慣例通り「内閣・自民党合同葬」あるいは「内閣葬」とすべきだったと思っている。内閣だけで決めてしまったのだから、実質的には内閣葬と変わらないと思うし。
しかしながら、国葬として海外要人を招待してしまった以上は、与野党で、多くの国民が納得できる落としどころを見つけるべきだったのではないかと思う。たとえば、暴力を許さないという国民の意思を示すというところに重点を置けば賛同を得られやすかったのではないか。立憲民主党も、ここは「提案型」でもよかったのにと思う。法律の専門家からは、内閣だけで決められる程度の「国葬」であって戦前の「国葬」とは全く異なるという考え方も提案されていた(新型コロナの「緊急事態宣言」が、有事法制の「緊急事態」とは全く違う、みたいなものか)。「国葬儀」という言葉には、そういう知恵を感じた(「建国記念の日」に「の」が入っているのに似ている)。多くの人に納得してもらえる理屈をつけようとする努力が感じられただけに、結果が出なくて残念だと思う。
費用については、首相在任期間の長さと、退任からの期間の短さを考慮すれば、要人の来訪が増えるのは仕方ない。歴代の首相の葬儀だけでなく、国際会議などとも比較するべきだと思った。

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2019年1月 5日 (土)

ロンドン旅行記 地下鉄編

年が明けてしまいましたが、昨年のロンドン旅行の振り返り記録です。

ロンドンと言えば地下鉄。ちょっと乗り鉄なので、地下鉄もミュージカルの次に楽しみでした。

小さい、狭いとは聞いていたけれど、実際に乗ってみて、ここまでとは思いませんでした。ヒースロー空港から乗れるピカデリー・ラインは、一番小さい車両のようで、大江戸線よりずっと狭いです。僕が泊まったホテルは、市の中心部とヒースロー空港の間にあって、劇場へはピカデリー・ラインが便利だったのですが、だいたい混んでいて、頭をドアに挟まれないように変な姿勢で乗らなければならないので、あまり快適とはいえず、最初の2~3日くらいは面白がっていたものの、他のルートがわかってからはなるべく乗らないようにしていました。勝手のわからない旅行者がスーツケースを持って乗るのはとても大変だと思います。これから旅行する人で、市の中心部のホテルに泊まる人には、高くてもヒースロー・エクスプレスかエリザベス・ラインをお勧めします。

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調べたわけではないですが、きっとピカデリー・ラインは小さいので初期の路線なのでしょう。東京でいうと銀座線。でも「チューブ」と呼ばれるだけあって、線路もホームも開削ではなくモグラ式のシールド工法のようです。架線ではなく電源用のレールがあります。

疑問に思ったのは、日本でも銀座線のように電源レールから電気を取っている路線はありますが、ほとんど地上に出ません。一方でピカデリー・ラインは郊外のかなりの部分で地上を走っています。小動物などによるショート事故は起きないのでしょうか?電源レールが2本あるようなので、安全なのでしょうか?
もう一つの疑問は、写真のように、トンネルの断面を最大限に使うような車両なのですが、空気をどこに逃がしているのか、です。東京の地下鉄のように、電車が近づくと強い風が吹くということはありませんでした。

驚いたのは、地下鉄なのに、ホームと電車の間に段差があること。日本でも昔の(今も?)長距離列車などはそうでしたが、ホームから電車に乗るときに一段上がる駅が多いです。駅によってはホームの方が高いところもあります。これは、車両の規格が異なる路線が並走しているためです。日本なら床面の高さを揃えるために、線路の方の高さを変えるのが当然だと思いますが、線路の高さは変えていないようです。この発想はなかった。
(下の写真はホームの方が高い駅です)

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さらに驚くのは、この段差を解消するためだと思うのですが、ホーム内に高低差(坂)がある駅があったということ。エレベーターに近いところだけでも段差をなくそうとしたのではないかと思います。下の写真、左の方では乗降口との段差がなく、右側は段差があるのがわかりますでしょうか。(写真は電車がまだ停止していないので、ドアの前が坂になっていますが、さすがにドアとドアの間に坂が収まるように停止しました)

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ピカデリー・ライン以外にも、セントラル・ライン、ディストリクト・ライン、ベーカールー・ライン、サークル・ライン、ヴィクトリア・ライン、ジュビリー・ラインに乗ってみましたが、車両の規格がみんな違うようです(一部同じ路線もあります)。日本でも路線ごとに車両は違いますが、車両の長さが違うとか、ドアの数が違うとかくらいのものです。ロンドンの地下鉄の場合は、ドアの位置(車両の端にドアがある場合がある)や、側面のカーブ度合、つかまる柱やつり革の有無が違うので、乗ったらどこに立てばいいのかが違います。うっかり日本の感覚で、奥の方(座席のある方)に入ってしまうと、つかまるところがなかったりします。ピカデリー・ラインで、つかまるところがあると思って奥に入ってしまったのですが、予想以上に狭くて足を踏みそうなほどでした。普通は、奥には入らないものなのだと思ったのですが、混雑していて戻るに戻れず、とても気まずかったです。
下の写真はサークル・ライン。これは日本の電車と同じくらいの大きさですが、架線がなく電源レールから受電しているところは地下鉄共通のよう。

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駅の構造も面白くて、だいたいの地下駅では、人が歩く通路もトンネルになっているところが多いです。そして、乗る人と降りる人が別々の通路を通るようにできています。そのため構造は迷路のように複雑です。複雑すぎるので、日本のように構内案内図はありません。その代わり、多くの駅の改札口は1か所しかなく、順路に従って行けばホームから改札、改札からホームへたどり着けるようになっています。ときどきわざと逆走している人がいて気づいたのですが、ホームへの入口の階段と、ホームから出る階段はなるべく離すように設計されていて、ホーム上の人の流れが一方向になるように作られているようです。だから、改札からホームへ向かうルートが遠回りになっている場合があって、逆走すると近道になるのです。この仕組みはぜひ日本でも、ホームが狭い駅では真似して欲しいです。階段のところで乗る人と降りる人がぶつかり合って渋滞することがありません。

狭いトンネル駅が多い一方で、新しい路線では真逆の駅もありました。ジュビリー・ラインのウエストミンスター駅は、地下深いホームまで巨大な穴を掘り、吹き抜けのような巨大空間を作っていました。

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こんな具合なので、地下鉄駅のバリアフリー化率は低く、エスカレーターがあっても、ホームから1階分は階段というところがとても多いです。高齢者や身体障碍者は利用しづらいと思いますし、実際、あまり利用していなかったように思います。ロンドンはバスも便利なので、おそらくそちらを利用するのでしょう。

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2018年12月 8日 (土)

ロンドン旅行記 劇場編(作品編)

11月のロンドン旅行でのミュージカル観劇記録です。
6日連続でミュージカルを観るというのも初めてな上、英語はさっぱりで、時差やら緊張やらによる睡眠不足で、すべての作品について集中力があまり高くない状態ではありましたが、それでも、どの作品も楽しめました。

<日本版で知っているロンドン発ミュージカルを本場で観る>

1. The Phantom of the Opera  / Her Majesty's Theatre

2018/11/23(金)19:30開演 座席:Balcony(4階席) C19(ほぼ中央 最後列) 料金:39.0ポンド(5914円)

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基本的に四季版と同じものの(勘違いしていましたが、新演出はツアー版のみなのですね)、「ポイント・オブ・ノーリターン」でクリスティーヌが逃げようとして支配人らに戻されるとか、地下湖にラウルが飛び降りないとか、指輪を渡すときに見つめ合う時間が長かったりとか、ちょっと違う点が確認できました。詳しくは「禁断先生」のブログが解説してくれています。「ドン・ファンの勝利」では、本番でもピアンジが音を外し気味に歌っていたように感じましたが、これは演出なのかどうかわかりません。

禁断劇場「クリスティーヌはドンファンの正体をファントムだといつ見破ったのか?ポイントオブノーリターン」
https://kindantheatre.com/shiki/operaza/point-of-no-return/

禁断劇場「クリスティーヌがファントムに指輪を渡す(返す)パターンは色々あって面白い」
https://kindantheatre.com/shiki/operaza/ring/return/

Her Majesty's Theatre のバルコニー席(4階席)を体験するのも目的。入口で荷物検査の後、正面のロビーではなく、右手の階段を登るように指示され、「歌舞伎座の幕見席みたいな感じかな?」と上がっていくとそこは3階席。間違えたかなと思ったら、3階席奥の非常階段のようなところに入り口がありました。

見た感じでは四季劇場[秋]のバルコニー席くらいと思われる空間に、3列ぎっしり席を並べた感じで、チケット購入時に書いてはあったけどその狭さにはびっくりしました。先に座っている人に立ってもらっても、やっと通れる狭さ。観る角度的にも四季劇場のバルコニーに近く、プロセニアムの怪人より高い位置から見下ろす形で、自分が怪人になった気分。

客層は常連と思われるご老人、終演後に歌い出すマニア集団、マナーの悪い観光客と幅広い。隣の若い女の子2人組が1幕終わりまでずっと喋り続けていて、前の若い男女がずっとイチャついていました。休憩後この2組が戻ってこないので「1幕で帰ったか?」と期待していたところ、ギリギリで戻ってきて一同落胆。しかし、喋っていた女の子は、2幕開演前に前の列の人に注意されて2幕は静かになった。自分がうるさいことに本当に気づいていなかった模様。前の男女は1幕のAll I Ask of Youでキスし始めたのだが、間奏曲でも同曲のメロディーが流れた時に条件反射のようにキスし始めました(笑)。そんなこんなで作品に集中できなかったのですが、おかげでこの作品だけは、疲れている中でも睡魔に襲われずにすみました。

2. Les Miserables / Queens Theatre

2018/11/26(月)19:30開演 座席:Dress Circle(2階席) F18(前後左右ほぼ中央) 料金:88.5ポンド(13045円)

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こちらもたぶん、日本の旧演出と基本的には変わらない(と思います。日本の最新バージョンを観ていないので違いがわからないのですが)。アンジョルラスが死ぬとき右足だけでぶら下がっていたのは記憶に残りました。

今回のロンドン旅行では唯一、2階席から観劇しました。あちらの劇場は四季劇場のように2階席から舞台の距離がとても近いので、上からの角度で間近に観ることになり、観た感じの印象はかなり違いました。舞台との一体感があります。

肌の色にこだわらないキャスティングがされていることは知っていましたが、コゼットが大人になったら肌の色が変わってたのには、さすがに驚きました。よく知られた大作だからいいけど、予備知識ゼロの人が見たら、同一人物だとわからないのでは?という気もしましたが、そもそも大人役と子役で顔が似ている人を選んでいるわけではないし、肌の色だけ特別視する必要はないということなのでしょう。大人1人のキャストに子役は4人くらいつけなくてはならず、入れ替わりも早いので、選り好みしていられないという事情もあるかもしれません。

日本に紹介されていない話題作

3. Matilda the Musical / Cambridge Theatre

2018/11/27(火)19:00開演 座席:Stalls(1階席) R9(上手寄り 最後列より2列目) 料金:58.55ポンド(8879円)

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シアターガイド誌でその評判を目にしていた、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー製作の舞台。2012年オリヴィエ賞新作ミュージカル作品賞受賞。原作も知らないし、英語の台詞も全くわからず、日本人のブログ記事(下記)であらすじ読んで臨みましたが、演出が子どもにもわかりやすく、かつ芸術的で、非言語的な面だけでも非常に面白く、感動しました。ちゃんと理解してもう一度観たいと思う作品です。振付がビリー・エリオット(リトルダンサー)と同じ人(Peter Darling)というだけあって、なかなかスリリングな(ちょっと間違えたら事故になりそうな)振付でした。

「ウィキッド」「ビリー・エリオット」などが好きな人におすすめ。

参考にさせていただいたブログ
https://ameblo.jp/lovelyquokka/entry-12045335264.html

上演中のケンブリッジ劇場(1階席)のイスは、紀伊国屋ホールのイスに似て、背もたれに対して座面がかなり前に出ていて低いイスでした。あれは座面に合わせて後ろに倒れるように座るのが正解なのでしょうか。その態勢で長時間は疲れそうなので、深く腰掛けて座面を倒し切らずに座っていましたが、どちらが正解なんでしょう?

4. The Book of Mormon / Prince of Wales Theatre

2018/11/22(木)19:30開演 座席:Stalls(1階席) U31(ほぼ中央 最後列) 料金:48.0ポンド(7279円)

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2018mormon_cast(ロンドン初日でキャストボードの場所がわからなかったので、プログラムのキャスト表です)

ロンドン発作品ではありませんが、トニー賞、オリヴィエ賞受賞作で、人気の高い作品。予想通りではありましたが、コント的な笑いなので、英語や文化的背景がわからないとついて行けないかなと言う感じでした。ただ、やはり「アラジン」のケイシー・ニコロウ演出というだけあって、古典的なミュージカルらしいところがあって、最初の"Hello"や"Turn It Off"などはミュージカルらしい楽しいナンバー。特に"Turn It Off"は作曲家の一人ロバート・ロペスが参加した別のミュージカル"Avenue Q"を彷彿とさせるナンバーでした。一流の人を集めて思いっきりふざけている感じでしょうか? Wickedパロディ曲もありましたが反応が薄かったので、観客は普段あまりミュージカルを見ない層が多そうです。

「プロデューサーズ」「アベニューQ」が好きな人におすすめ。

5. School of Rock / Gillian Lynne Theatre

2018/11/25(日)15:00開演 座席:Circle(2階席) E35(ほぼ中央 最後列) 料金:42.0ポンド(6369円)

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「キャッツ」「オペラ座の怪人」のA.L.ウェバー作曲ということで、本音ではそれほど期待していないものの一度は観ておきたいという感じで観た舞台。最近のヒットミュージカルの傾向として、スーパー子役大量出演(マチルダ、ビリー・エリオットなど)というのと、太めの男性が大活躍(ブック・オブ・モルモン、アラジン)というのがあり(自説)、その両方を兼ね備えて、万人受けするヒットを狙って作ったのかなと思います。

観てみると思った以上に楽しい! ミュージカル好きな人もそうでもない人も、ロックが好きな人もそうでない人も、大人も子供も、言葉がわからない人も、万人が楽しめる作品という感じでした。物語がシンプルでオーバーなコメディ演技なので、言葉が全くわからなくてもほぼ物語がわかります(合っているかはわかりませんが)。子どもによる大人顔負けのパフォーマンスも無条件で楽しめます。

考えてみると、物語は「サウンド・オブ・ミュージック」の設定を置き換えたような感じですね。
 マリア → デューイ
 トラップ大佐 → ロザリー先生
 合唱 → ロック
 音楽祭 → コンペ
ノリは陽気で「マンマ・ミーア!」に近いかもしれません。

公式YouTube "You're in the Band"
https://www.youtube.com/watch?v=GFRPXRhBYOI

(エビータのニュー・アルゼンティーナに似てる?)

こちらの作品も、子役大量出演で、多様な外見の子供たちが出演していて、兄弟や親子設定で肌の色が違ったりしていました。が、そこに加えられたアイディアが賢くて、親たちの中で一番台詞の多い「親バカ」キャラを、ゲイのカップルの設定にしていました。こうなると、他の親子も含めて、肌の色など気にならなくなります。

ジリアン・リン劇場は、昔キャッツを上演した劇場というだけあって半円形で大きく、他の劇場に比べると近代的で、売店などもあり、日本の「ミュージカル劇場」のイメージには一番近い劇場でした。

6. Everybody's Talking About Jamie

2018/11/24(土)19:30開演 座席:Stalls(1階席) W13(ほぼ中央 最後列より2列目) 料金:59.4ポンド(9007円)

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シアターガイド誌を見て決めた一作。昨年のオリヴィエ賞で「ハミルトン」と新作ミュージカル作品賞を競った作品。白塗り顔アップのポスターのイメージから、「プリシラ」的なものを想像していましたたが、全然違う青春ものでした。「キンキーブーツ」と「ヘアスプレー」を混ぜた感じに、もしかしたら「Dear Evan Hansen」のような現代的なセンスが入ったような作品。

公式YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=p8JatUP1ltI

続演中のオリジナルキャストJohn McCrea の魅力によるところが大きいかもしれません。日本でいうと新納慎也さんのキャラと、海宝直人さんの若くして豊富なキャリアを併せ持った感じでしょうか。凄い身体能力から生み出されるオーバーアクションが、台詞がわからなくても面白かったです。とてもかっこよくてノリノリで楽しめました。たぶん英語がわかれば後半で泣けたはず。

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2018年12月 1日 (土)

ロンドン旅行記 劇場編(総論)

今回のロンドン旅行の最大の目的は、なんといってもミュージカル。
ロンドンの劇場に行ってみて、日本とは違うなと思ったことをまとめます。

チケット予約

チケットはインターネットで簡単に予約できました。クレジットカードさえあれば会員登録も必要なく、座席表を観て席が選べるシステムで、日本のミュージカルのチケットを買うよりも簡単でした。
https://www.fromtheboxoffice.com/
公演の公式サイトからも、だいたいこちらにリンクされるようなので、日本のように各エージェントに座席が細かく配分されているということはないようです。その代わり、席の料金区分がかなり細かく設定されていて、曜日ごとにも値段が違うので、何曜日にどの演目を観るのかによってコスパがかなり変わります(週末に高くなる演目と、それほどでもない演目がある)。消費税20%ということもあり、安い席でも5~6000円くらいして、本当に良い席は2万円くらいするようです。良席の料金を高くしているため、早い者勝ちではないので、早々に売り切れるという作品はあまりないようです。今回も2週間前にチケットを予約しました。

劇場によって、Eチケット(バーコード)を印刷してそのまま劇場の入り口でスキャンしてもらうタイプと、ボックスオフィスで当日受け取りが必要なタイプがありました。予約サイトの説明では、当日受け取りの場合は「Valid photo ID」を提示するよう書いてあり、パスポートの提示が必要かと思いましたが、予約完了メールを印刷したものを持って行ったので、それを提示したらIDの提示は求められませんでした。場合によっては予約時のクレジットカードが必要になるという話も聞くので、持っていた方が良いと思います。

ロンドンの劇場

いろんな人が口を揃えて言っていることだと思いますが、ロンドンの(おそらく他の欧米諸国も)劇場はとても狭い(密度が高い)です。浅利氏が四季劇場を建てたとき、欧米の劇場を参考にしていたというのは良く理解できました。1階席の傾斜は緩く、2階席から舞台がとても近いです。それにしても座席間の幅が狭く、縦方向の通路が両端にしかない劇場がほとんどなので、真ん中の方の席の人は早めに座らないと大変です。

劇場に限らず、百貨店でも棚の密度が高く、通路らしい通路がないところが多かったので、消防法に大きな違いがあるのかもしれません。地震が多い日本との違いなのでしょうか。

狭いのに(ロビーも狭いから?)上演中も含めて客席で飲食がOKなようで、飲み物の入ったコップを持って狭い客席に入っていく人が結構います。そして飲み終わったコップ(プラスチック)は足元に置きっぱなし。日本人の感覚では考えられませんが、映画に近い気軽な娯楽として定着しているということなのでしょうか。その割には料金は高いんですが。

ロビーも狭いというか、ほぼ無いに等しく、日本の感覚だと、エントランスホールとか踊り場くらいの感じのところがほとんどでした。今回行った中では、「スクール・オブ・ロック」上演中のジリアン・リン劇場(ニュー・ロンドン劇場)だけは日本の「劇場」に近い感じでしたが、他はどこも狭く、四季劇場「海」よりずっと狭いです。トイレの入り口が客席にある劇場も珍しくありません。トイレに長蛇の列、ということにもなっていなかったので、ほとんどの人は劇場ではトイレに行かないのでしょう。日本のように駅のトイレもあまりないのに、いったいどこで済ませているのか、謎です。

客席が狭いので、みんなクロークに預けるのかなと思っていたのですが、クロークもまた小さく、係員も一人しかいないので、とてもみんなが預ける感じではありませんでした。スーツケース持っていくというのも出来なくはないでしょうが、クロークの場所が狭い階段を降りた地下だったりするので、最後の手段という感じでした。

日本では、同じホールでミュージカルもストレートプレイも、オペラもクラシックのコンサートもやる場合が多いのに対して、ロンドンのミュージカル劇場はミュージカル向けなので、その辺の差は大きいかもしれません。装飾は華美でも、それはロンドンの建築物一般に言えることであって、それほど非日常的な空間ではないのだろうと思います。

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ロンドン旅行記 概要

学生の頃は、海外旅行なんていつでも行けると思っていましたし、いつかブロードウェイやウエストエンドへ行くつもりでした。もちろん、優先順位を上げれば行けるのでしょうが、実際にはなかなか思い切りがつかず、日々のことに追われているうちに、言語の壁もありだんだん海外に行きたいという気持ちが薄れていました。特にここ5~6年は、海外ミュージカルの来日公演や翻訳上演も増えているので、日本でも観たいものがすべて観られないような状況で、ますます海外旅行へ行きたいという意欲は下がっていました。だから、会社の勤続15周年で一週間の特別休暇をもらっても、特に旅行する予定はありませんでした。しかし、取得期限が迫ってくるにつれ「海外に行きたいという気持ちが起きないということが老化なのかも」「今回行かなかったら25周年の特別休暇まで行かないだろうし、その時には50歳でもっと意欲が落ちているだろうから、結局一生行かないのかも」と考えるようになりました。そんなとき、同い年の親戚がロンドン近郊に住んでいることを思い出して連絡を取ったところ、ちょうど今年度いっぱいいるし案内してくれるというので、この機会にロンドン旅行をすることにしました。

行くと決めて調べているうちに「せっかく行くんだから」という思いで、観たいものが増えてしまい、6泊8日でミュージカルを6本観る旅となりました。

11/22朝 東京発 ロンドン着 地下鉄に乗ってホテルへ。
夜:The Book of Mormon 観劇 

11/23 親戚と高層ビルSky Garden でブランチ & バラ・マーケット(食品市場)とデパートを散策。夕食はFish&Chips。
夜:The Phantom of the Opera 観劇
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11/24 ホテルの近くにあった巨大ショッピングモールを散策。本当にあった「極度乾燥(しなさい)」。その後、再び市中心部の散策して、おみやげ購入。
夜:Everybody's Talking About Jamie 観劇
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11/25 バッキンガム宮殿の衛兵交替式と国会議事堂など(外観のみ)
昼:School of Rock 観劇
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11/26 有名な建物を外観のみ見て回る。親戚の住む近郊の町まで鉄道に乗ってみる。
夜:Les Miserables 観劇
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11/27 親戚とウィンザー城見学&ホテルでアフタヌーン・ティー。あの「ラプサンスーチョン」に出会う。
夜:Matilda The Musical 観劇
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11/28朝 ロンドン発
思いがけず機内で MAMMA MIA ! Here We Go Again を観る。

11/29朝 東京着

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2018年8月19日 (日)

浅利慶太さん追悼と劇団四季65周年

 2018年7月13日、劇団四季創立65周年の前日に、浅利慶太氏が亡くなられました。

 劇団四季と浅利慶太氏は僕にとって特別な存在なので、今の想いを何か文章に残したいという気持ちになりましたが、もともと文章は苦手なうえに、私的な文章など久しく書いていないのでなかなか手が付けられず、ようやくこの夏季休暇に書くことができました。発表する場所も特にないので、Twitterを始めてからほぼ休眠状態になっていたこのブログに掲載することにしました。

 僕は父の影響で、物心つくころから劇団四季ファミリーミュージカル(当時は「こどもミュージカル」と言っていました)を毎年楽しみにして育ちました。中学で東京に転居してからは、劇場へ行きやすい環境でますます夢中になり、たくさんのミュージカルやストレートプレイを観ました。大学ではミュージカルを自主製作上演するサークルに入り、出演や作曲を経験しました。
 演劇から、劇団四季から、いろいろなことを学びました。「きっぷがいい」という言葉を知ったのは「桃次郎の冒険」でしたし、たしか「オンディーヌ」に「本当のことを冗談のように、嘘を本当のように言うのが大人だ」みたいな台詞があって、苦言は冗談っぽく、お世辞は心を込めて言うように気を付けています(笑)。母を亡くした時は「夢から醒めた夢」や「青い鳥」を観ていたおかげで、前向きな気持ちで見送ることができました。
 四季の会会報「ラ・アルプ」などでは、浅利氏の経営戦略や観客に対する姿勢、リーダーシップのあり方について知ることができ、大いに影響を受けました。経営工学というものに興味を持ったのも、もしかしたらその影響があるのかもしれません。現在演劇とは全く関係のない仕事をしていますが、プロジェクトの進め方やプレゼンテーションのまとめ方は、学生時代に演劇を製作した経験を通じて得たものが基礎になっていると感じています。

 そういうわけで、僕の人生において劇団四季は非常に重要な位置を占めているのですが、僕の父にとっても劇団四季と浅利慶太氏はそれ以上に大切な存在であったことが、大人になるにつれて分かってきました。父は浅利氏と同い年で、劇団創立間もないころからの劇団四季のファンであり、時々感想を手紙にして送っていたのでした。そして、父と母が親しくなったきっかけも劇団四季でした。そんな父が、母と最後に観た四季の舞台の思い出を手紙に綴って浅利氏に送ったところ、「ラ・アルプ」の記事を依頼されるようになりました。70歳を超えて、初期の公演を知っている人が少なくなったという事情もあるかもしれませんが、おそらくは父を元気づけるための気遣いだったのではないかと思っています。
 気遣いと言えばもう一つ。浅利氏が誌上でこんなエピソードを語っていました。ある公演の上演中に、ロビーにいる子供と母親を浅利氏が見かけた。「どうしたんですか」と訊いたら、家族全員分のチケット代が払えず(1幕と2幕で)交代で観るのだと言う。それを聞いたとき、そこまでして来てくださる方々のために、S席料金を上げても最低料金は絶対に引き上げないと心に決めた、という話です。
 実は、これとほぼ同じ話を、僕が生まれる前の話として母から聞いたことがあります。浅利氏に会ったとは言っていなかったので、もしかしたら同じような親子が他にもいたのかもしれませんが、僕はこの話は母と姉だったのだろうと思っています。浅利さんに感謝です(稼げるようになった今は、なるべくS席で拝見するようにしています)。

 母が亡くなり、父が退職して、両親の人生を俯瞰できるようになり、先のような浅利氏の気遣いにも触れ、徐々に僕の中での浅利氏は、劇団四季のトップというだけでなく、父と同時代を生きてきた人という意味合いが強まっていきました。それだけに、浅利氏が劇団四季を離れてからは、遠い親戚であるかのような気持ちを勝手に抱いていました。
 週刊誌等の報道によると、浅利氏が四季の社長を降りて劇団四季を離れるまでには、現社長によりかなり手荒な方法がとられたそうで、当時はとても心配しました。しかしその後、浅利演出事務所を立ち上げ、劇団四季と良好な関係を取り戻したのを見て、おそらく現社長はここまでのシナリオを描いて実行したのだろうと思いました。浅利氏ほどのカリスマを交代しつつ劇団を守るためには、こうした方法を取らざるを得なかったのだろうと思います。

 浅利氏が新事務所を立ち上げて、とても良かったのは、劇団四季も浅利慶太プロデュース公演も、芝居がとても面白くなったことです。これは明らかな変化でした。正直なところ、浅利氏が劇団を退く前の何年かは、台詞のテンポが遅く、芝居にメリハリがないような印象がありました。内部事情を聞いたことは全くないので完全な憶測ですが、浅利先生のいないところで勝手な演技指導ができないとか、浅利氏も若いころのように稽古に時間を割けないとか、加齢により耳が遠くなってきてそれに合わせてテンポが落ちているとか、キャスティングされる俳優の年齢が上がっているとか、そういったことがあったのではないかと推測しています。浅利氏が離れた後の劇団四季は、ベテラン俳優の多くが演出スーパーバイザーとなったことで、キャストが若返ったうえ、ある程度の裁量を持って演技指導ができるようになったのではないかと思います。本来の劇団四季らしさを取り戻したような感じがしました。
 浅利慶太プロデュース公演も、最初こそベテラン女性俳優と若手男性俳優のアンバランス感がありましたが、劇団外の俳優を使った公演は新鮮で、新作上演の時のような、演劇本来の良い意味での緊張感がありました。回を重ねるごとに、男性俳優陣も目に見えて上手くなっていくのが凄いなと思いました。かつて浅利氏は「ミュージカルは世を忍ぶ仮の姿。本当はお客さんが退屈するような台詞劇をやりたい」と冗談めかして言っていたので、芝居の演出に専念する環境が持てたことはとても良かったと思います。この間、劇団を去った俳優との再会があったり、かつて敵対心を丸出しにしていた東宝系の事務所の俳優を起用したりしたようで、過去のわだかまりが、ある程度解けたようにも察します。この4年間は、浅利慶太氏の人生における「間奏曲」のような時間だったのではないかと思います。できればこれが、もっと長く続いてくれれば良かったのですが。

 新社長のもとでの劇団四季の運営は軌道に乗っているようで、浅利演出ミュージカルの再演、ソング&ダンス新作の上演、ディズニー新作の上演、ブロードウェイ演出家によるミュージカル再演、浅利演出ストレートプレイの再演と、着実にステップアップしていて、ついに今年は日本人外部演出家による新作ストレートプレイの上演を成功させました。演出家の違いによる違いは当然あるのですが、一定の「四季らしさ」が保たれているところがまた感心します。それはおそらく、方法論が確立されていることと、製作サイドから演出家への「発注」が的確だからなのだろうと思います。
 「ソング&ダンス65」の構成や「ラ・アルプ」の記事、「ノートルダムの鐘」や「パリのアメリカ人」などフランスに縁のある新作を上演していることなどから、劇団の歴史や創立メンバーの想いを大切にしていることが良くわかります。このことは古くからのファンにとってとても嬉しいことです。同時におそらく、カリスマを失った巨大な組織の求心力を保つために必要なことでもあるのでしょう。もしかしたら、ディズニーや慶應義塾の組織の在り方も参考にしているかもしれません。「演出スーパーバイザー」という役職を作り、演出は浅利慶太としているところなど、慶應義塾で福沢諭吉先生以外を先生と呼ばないのに似ていると思います。
 浅利慶太氏がいなくなったら劇団四季は持たないのではないか、あるいは海外ミュージカルの上演をするだけで四季らしさがなくなってしまうのではないか、とかつては心配していました。しかし、後継者の課題をこうした方法でクリアし、劇団として発展を続けていることは、ファンとしてたいへん嬉しいですし、その手腕には脱帽します。この調子なら、新社長が言っていた、新作オリジナルミュージカル上演という目標も、そう遠くないうちに実現可能ではないかと期待します。

 しかし、浅利氏にとっては、嬉しい反面、そこに自分がいないことの寂しさは当然あったことでしょう。昨年夏ごろから体調を崩し、9月に悪性リンパ腫と診断されたとのこと。日下さんが亡くなったのに加え、四季劇場が建て直しのため閉館した時期と重なります。喪失感はさぞ大きかっただろうと思います。その9月に、創立メンバーの日下武史さんの追悼公演として「思い出を売る男」が上演されました。公演を観に行ったとき、開演15分前に劇場の入口の目の前まで黒い車が入ってきて、浅利氏が車を降り、女優の坂本里咲さんに付き添われて劇場に入っていくのを見かけました。具合が悪いのだということは見てわかりましたが、僕はそれがお見かけする最後になるとは思わず、その次の公演で劇場へ行かなかったのが悔やまれます。そして、浅利演出のお芝居をまだまだ観たいという気持ちを、直接お伝えすればよかったと思います。
 それにしても、その後に上演した作品が「この生命誰のもの」再演とは、どんな心境だったのでしょうか。主人公の早田健に、ご自身を重ねていたのではないかという気がします。少なくとも、担当医を演じる野村玲子さんは、早田と担当医の関係を、浅利氏と自身の関係に重ね合わせずにはいられなかっただろうと思います。そういえば、劇団四季時代の上演と、浅利慶太プロデュースでの初演とで、ラストシーンがちょっと変わっていたのはそのためかもしれません。そして、悪性リンパ腫がわかってからの再演。ひょっとしたら、浅利氏は積極的な治療を受けなかったのかもしれません。そして、浅利氏も周りの皆さんも、物語として演じて客観視することで、現実に訪れる日の心の準備をしていたのかもしれません。すべては私の勝手な想像です。

 浅利慶太さん、安らかにお眠りください。

 訃報に接したのは、次回公演「アンドロマック」の上演が発表された直後だったのでたいへん驚きました。浅利プロデュースとしての新作は久しぶりだったので、お元気になられたのだなと思っていました。おそらく実際はその逆で、最後に上演したい作品ということだったのでしょう。あるいは、もう自分ではできないことを悟って、野村玲子さんと坂本里咲さんに、二人だけでやってみろと課題を出したということなのかもしれません。上演は予定通り行われ、浅利慶太演出を再現するそうです。
 演出家が直接指導しなくても、演出家の指示の記録をもとに、かなりの部分を再現することができるのが、劇団四季の凄いところです。おそらく「折れ」法等の独自の方法論に、海外作品の上演ノウハウが積み重なったものなのでしょう。浅利慶太プロデュース公演は今回が最後になってしまいますが、ぜひとも成功させて、今後は浅利演出事務所プロデュース公演として、「ひばり」や「間奏曲」などの上演が実現されることを切に願います。「浅利慶太演出事務所」ではなく「浅利演出事務所」としたのは、浅利氏にそんな考えもあってのことなのではないかと思っています。そしていつか再び劇団四季公演として、あるいは劇団四季提携公演で、野村玲子さんや坂本里咲さんが演出スーパーバイザーとなり、ジロドゥ劇やアヌイ劇、「ミュージカル李香蘭」などが上演される日が来ることを願っています。

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2016年5月 3日 (火)

憲法記念日に

ピーター・パンの原作戯曲で、ティンカー・ベルが死にそうになったとき、妖精の存在を信じる観客の拍手で元気になるという場面があるらしい。妖精は、信じる人がいないと生きられない存在。
実は憲法も同じだ、と最近思う。皆がその権威を信じなくなれば、効力はなくなってしまう。そもそも権威とはそういうものだけれど。
「日本国」が国家として成立しているのはなぜかと考えてみれば、それは皆が「正当だ」と信じているルールに則って憲法を制定し、尊重し、遵守しているからだと思う。そういう意味で、憲法を守ること(必ずしも「護ること」ではない)は、日本国を護ることだと思う。

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2014年12月 7日 (日)

Once ダブリンの街角で

ミュージカル「Once ダブリンの街角で」を観ました。

トニー賞受賞作なのですが、授賞式のハイライトは地味な印象で、一言でいうと「静かなミュージカル」(ミュージカルにおける「静かな演劇」)という感じでした。実験的で、正直なところそれほど面白くなさそうという印象でした。しかし、トニー賞では高評価だったし、これは劇場に行かないとわからない良さがある作品かもしれない、と思ってチケット代は高めでしたが思い切って行ってみました。

結果、とても良かったです。「面白かった」とも「感動した」とも違う「とても良かった」。

非常にシンプルな物語をシンプルな装置で、とてもゆっくり繊細に描いていて、ハイライトで抱いた「静かなミュージカル」というイメージは間違っていませんでした。劇場に行って、外の世界から遮断された空間でなければ感じることのできない演劇ならではの感覚。この良さはテレビでは絶対にわからないと思います。

音楽もいわゆるミュージカルらしい音楽ではなく(あまり音楽の分類を知らないのですが、フォークになるのでしょうか?)、好んで聞くタイプのものではなかったのですが、余韻に浸りたくなって、パンフと一緒に珍しくCDを衝動買いしてしまいました。

劇場の良さもありました。「EXシアター六本木」というテレビ朝日関係の比較的新しい劇場で、900席という中劇場サイズで、ライブも行えるような音響の良いホールのようです。非常に繊細な音を出すこの作品にはピッタリでした。

言葉が少ないので、僕のように字幕に頼らないといけない人にとっては、字幕を追うのが楽で見やすいというのもありました。字幕と言えば、この作品はアイルランド人とチェコ移民の話でチェコ語で話す場面があり、日本語字幕とは別に、もともとの演出上の字幕があるのですが、その使い方がユニークでした。チェコ語で話している設定の台詞を、俳優は英語で話し、チェコ語の字幕が出るのです。こういう、この舞台独自の約束ごとみたいなものがいろいろあって、演出はとても面白かったです。

万人受けする作品ではないけれど、僕のようにミュージカルとストレートプレイが両方好きな人は、好きにになる作品だと思います。

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2014年9月12日 (金)

朝日新聞の吉田調書記事取り消しについて

朝日新聞が、当時非公開だった「吉田調書」を入手して発表した記事を取り消した。理由は「『命令に違反 撤退』という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため」(9/12朝日朝刊)。

自らの記事を検証し、誤りがあれば認めて修正する、これは正しい姿勢だと思う。しかし、この「取り消し」にあたって、取り消しに値するかどうか十分な検証を行ったのだろうかという疑問を抱いてしまった。

問題の記事は僕も当時読んでいる。たしかに、見出しには違和感があり、ゴシップ雑誌のような見出しの付け方だなという印象を持った。「結果的に吉田所長の意図に反して撤退」というのが妥当な表現だろうと思った。しかし、記事を読んでそのように思ったということは、取り消し理由とされるような誤った理解はしていないということになる。だから、今回朝日新聞が何を問題視して、何を謝罪しているのかピンとこない。

僕だけの特殊な受け止め方かと思ったが、今日の朝刊に掲載されている識者の見方でも「『命令違反』『撤退』という見出しや記事のニュアンスに違和感を覚えた」「『命令違反』とまでは言えないとも思っていた」と言われていて、見出しの表現には不適切な点があったものの「多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象」は受けていないことがわかる。

きちんと記事を読めば間違った印象は与えないし、仮に与えたとしても、表現の問題であって事実関係に誤りがあった訳ではない。訂正することはあっても取り消しは行き過ぎではないかと思う。記事を取り消すことによって、誤報や捏造があったという、間違った印象を与えてしまうのではないか。実際Twitter上ではそのような誤解をしていると思われるツイートが見受けられた。

どうして、訂正ではなく取り消しまで踏み込み、さらには編集担当の取締役の解任までするのだろうか。
慰安婦問題の記事撤回についての池上氏の文章掲載見送りで批判を浴びたので、その反動で過剰な対応をしてしまったのではないか。
ひょっとしたら、原発推進派から圧力があってのことなのかもしれない。
取締役が解任されるのは、実は社内の派閥争いなのかもしれない。
「プロメテウスの罠」の単行本が、朝日新聞社ではなく学研マーケティングから出版されていることを考えても、いろいろな内部事情があるのかもしれない。

そう考えていて思い出したのが、池上氏の記事掲載を見送った理由。慰安婦問題の記事を巡って、激しい抗議行動が起こっており、社員の安全も考えると掲載を躊躇したというようなことだったと思う。もしかしたら、それと同じ論理で記事取り消しの判断をしたのではないだろうか。つまり、「命令違反」の記事にも激しいバッシングがあって、事態を収拾するために記事を取り消して謝罪したのかもしれない。

AERAが「放射能が来る」という見出しを出して批判された時も、記事の内容については訂正はしなかったものの、「福島の人の気持ちに寄り添っていなかった」というような理由で謝罪会見を開いて事態を収めたと、聞いたことがある。それと同じようなことなのかもしれない。だったら、何を謝罪しているのかピンとこないのは当然だ。

もしそうだとすると、自らの記事を検証して改めるという姿勢とは反対で、圧力に屈して主張を曲げたという非常に残念な話ということになる。しかし、短絡的で脅迫的な抗議活動が増えているらしい最近の状況を考えると、仕方ないのかもしれない。吉田調書が政府から正式に公開されるまで耐えてくれたことを、誉めるべきなのかもしれない。

まあ、こんな憶測がすべて邪推であり、公正な検証の結果であってくれることを祈りますw

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2014年6月29日 (日)

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

ミュージカル「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観ました。

実話を元にした、ディカプリオ主演のあの映画のミュージカルです。映画は観ていないのですが、音楽が「ヘアスプレー」やドラマ「SMASH」のマーク・シャイマン&スコット・ウィットマンということで注目していた作品です。

音楽は期待通り、JAZZを中心にした王道ミュージカルという感じで、バンドも良かったし、ダンスも当然JAZZでとてもカッコ良かったです。特に、今井清隆さん演じる捜査官ハランティとアンサンブルダンサーによるナンバー"Don't Break the Rules"は、かなりハードなダンスナンバーで、リアルにショーストップ(拍手が凄すぎて、俳優が次の台詞になかなか入れない状態)が起きました。日本では、よくあることではありません。

ただ、楽曲は良いものの、全体としてはバラエティに欠ける感じがしました。男性目線で物語が進むミュージカルに傑作は少ないというのは僕の持論ですが、本作も少年詐欺師とそれを追う捜査官、少年の父親にスポットが当てられているので、どうしても男声ソロ曲とダンスナンバーが多くなります。新妻聖子さんが演じる、詐欺師の恋人には、終盤でそれこそショー・ストップ・ナンバーがあるのですが、物語を締めるために唐突にくっつけたような印象がありました。

コメディーなので、小劇場的な笑い(アドリブや素()を見せるような演出)も取り入れていましたが、そのわりにマイク音量が大きすぎるのか、違和感がなくなるのに時間がかかりました。装置はおそらくシアタークリエの制約で、基本となる装置が固定なのですが、長方形の吊り物(何と言ったらいいのか、観た人には伝わると思います)を使った転換が効果的でした。

毎度ながら、いろいろ欠点を挙げてしまいましたが、「ここが惜しい」と言いたくなってしまうのは、なかなか良かったという裏返しでもあります。

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